キックオフミーティング〜その心は不確実工房〜 須永剛司×上田信行×Act-O編

2021.7.5 @bit design Studio
参加メンバー:須永剛司、上田信行、藤田次雄、三宅由莉、木綿昌之、いわた花奈、岩田直樹、大崎良弘、宮谷直子、出口愛

〜不確実性を愛する工房の巻〜

Act-O(Actingout Design lab:旧UX Workshop Labo.)の立ち上げ会として第一回目の研究会をコアメンバー+須永剛司先生&上田信行先生という黄金コンビに入っていただいて開催しました。Act-Oが今やっていることの根っこに、ワークショップやクリエーションの場をつくってきた須永先生や上田先生の思想があり、この機会に巨匠お二人に、今自分たちが企業の開発の現場で取り組んでいること、その中でなかなか伝えきれていないもどかしさなどなど、たっぷりとお話させてもらいました。須永先生は残念ながらオンラインでの参加となりましたが、今も昔も変わらず、静かなるちゃぶ台返し健在でございました。普段はどちらかと言うとちゃぶ台返しする側なんですが、やっぱり師匠にはかないません。久々に根っこからゴゴゴッッッっと揺さぶられたのであります。
(※この時点ではチーム名をUX Workshop Labo.としていました。)

開発の現場でこんなことやってます


ビットデザインスタジオunlabo.メンバーを中心に、ここ10年ほど思考錯誤しながら某メーカさまからご依頼いただき、UX開発(製品開発やサービスデザイン)関連のワークショップを多数やらせてもらう機会をいただました。企業秘密の案件も多く、特にこれまでどこにも宣伝活動もせずこっそりとやってきました。にもかかわらず、実際に参加してくれた社員の方や、提出した企画資料などが一人歩きしたのか、本当にありがたいことにほぼ口コミベースでいろんなおもしろいお仕事のご依頼相談を受けることができています。
とはいえ、あまりにマイナーということもあり、紹介してもらうにも紹介しにくいというありがたい後押しもいただいたので、そろそろAct-Oのチームとしてのサイトつくるに至りました。ぼちぼちといろんな人の意見をもらいながら少しづつつくっていますが、多分この先も完成することはなさそうです。笑


で、こんな経緯とまずは、Act-Oが今まで行ってきたいくつかのプロジェクト事例(成功例)を三宅の方からスライドにそってご紹介しました。
スライドの方は企業の守秘義務があり、ここではご紹介できないのですが内容としては、
開発にアクティングアウトという身体を使ってやって・みて・考えるというアプローチを用いて、やっているということ。
また定量調査やマーケティングではなく、サロンという形式で現状やニーズを自分の感覚を動員させながら浮き彫りにしていくなど。開発者サイドの本気といいますか、「これほんまにおもしろいやん」という情熱を引き出していくことを大切にした開発の実際をご紹介しました。

Act-Oの活動についての詳細は、サイトをご覧ください。https://www.uxws-labo.com/


ここからは、その後のやりとりです。
なかなかジワジワくるお話なのでわりとそのまま文字におこしてみました。

アクティングアウトの価値をどう伝えたら?

須永:まずは、今みなさんがやってるお仕事すばらしいですね。感動して聞かせてもらいました。だけど、すごくうまくいってるからそれでいんじゃないのって気もしたけど、何が悩みなんだっけ?今日はどんな話をすればいいのかな?

三宅:ビットデザインスタジオが相談うける仕事を、なんとなくこれまでこのメンバーで試行錯誤しながらワークショップをやってきたんですが、少し世間で言われるデザイン思考やサービスデザインのやり方とは違う点も多くて、いろいろ誤解されることも多くてですね。もう少し自分たちがやってることを理解してもらえるようにしたいんです。クライアントにも自分たち自身にも。それで、サイトをつくっていくにつれ、結局自分たちがAct-Oでやってることの根っこに、須永先生や上田先生の思想があるなぁというのをつくづく感じていてですね。だから、お二人にこのチームの後ろ盾というか、「僕たち元祖ですよ」って言ってほしいなって。笑
あと、実践実践でやってきたワークショップをもう少し、みんなで共有しながら研究ベースにモデル化とかカタチにしていけたらいいなと思ったりしてるんです。だから、今回だけでなく定期的にこんな研究会を開いていきたいなっていう思いもあります。

木綿:今、どんどんワークショップだとか企画系のお仕事が増えてきているんですけど、UX開発のためのワークショップという言葉だけでいくと、少し誤解されてるなって感じるクライアントいて。今、三宅さんがスライドで説明したのは、すごくきれいに成功した仕事だけを紹介してるんですね。UXという切り口でいくと、いわゆる知識ですね。開発系のワークショップの知識ベースでメソッドにそってやっていくというものと、自分たちのやってるものとが、バッティングすることがあるんですね。企画をたてていく際に私たちから、解決策としてアクティングアウトを提案するんですが、すごくうける場合とそうでない場合がはっきりと分かれるんです。喜んでくれるクライアントの方は、身体でやってみることの価値や、空間とか関係性なんかも理解してくれるんです。ただ、どこかの開発メソッドを知識的に学んでこられた方は、どうしても、最初にペルソナ調査からスタートしないといけないという頭があるようなんです。それを否定するものではないのですけど、ペルソナの感覚って最初に自分たちでアクティングアウトすれば、概ね理解できる場合が多いんですが。それをものすごい時間と労力をかけて調査したりするんですね。そういう時にやったらわかりますよって、うまくそれを説明できないんですね。アクティングアウトの価値って、結局やってみないとわからないので。その魅力をどう伝えていったらいいか、須永先生にお聞きしたいなっていうのは個人的に思ってます。

須永:なるほど、それは奥深い悩みですね。なんとなくわかってきましたよ。それはね、すごく大きな問題ですね。まったく同じ課題を僕も感じてます。おっしゃったように、アクティングアウトのようなやり方はすばらしいし、手に入ることもあることはわかるんだけど、企業とかにとっては、はいはいやりましょうってことになかなかならない。もう少し教科書的なやり方でやりたいっていうわけですよね。

敵は不確実性を排除する近代合理主義?!

須永:ある人に言わせると、不確実性への恐れっていうのがあるんですよ。確実にやりたいんですよね。調査をしてひとつづつ潰していくと確実じゃないかっていう一つの考え方があって、確実性をもとめる近代が持ってるモデルなんですね。近代科学っていう考え方をベースにして社会をつくってきた歴史の中で、徹底的に不確実なものに対してビビるわけです。自分で手を動かしてやることのできない大きな組織では、できるだけ不確実なことを低減するしかないと思っているですね。そういう一つの理念が今社会を覆い尽くしるんですね。ただし、我々のような人たちから見ると、不確実性は排除できないし、排除したら実はおもしろくない。確実なプロセスからおもしろいものは生まれないと僕は思ってる。そのこともまた確実にしてくださいってことになるんですね。笑

三宅:まさにまさに。

須永
:アクティングアウトってことは不確実なことを受け入れるマインドセットをもってやるしかないんだけど、うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれないわけだよね。
ビットでやるなら、アクティングアウトやったら確実に成果でますよって確約をくださいって言われるってことだよね。
 これはね、もう宗教戦争みたいなもんですね。笑 机上の空論で、元祖が言ってるみたいなことではダメなんだよね。笑 どうするかはみんなで考えなきゃいけないよね
どんどんアクティングアウトのような方法を徹底的にやってみて、その中で高い確率でサクセスしていく。そういう風に積み上げるしかないんですよ。
 だって相手は何百年もかけて積み上げてきたわけですよね。実際、ロケット飛ばして宇宙から石ころ拾ってきたりしてるわけだから。それは、分析的なやり方で、不確かなものを排除しながらやるしかできないわけですよ。だから近代の科学的な方法を滅ぼすことが、我々のやりたいことでもないわけですよ。それはそれで大事にしなきゃいけない。
 だけど、宇宙に行って石ころひらってくることはできても、人が実際に生きて暮らしてる社会では同じやり方でやれるかというと、いろいろうまくいかないですよね。発電所の事故もそうだよね。不確実性が満載の社会で確実性だけをもとめてやるからだね。国も電力会社も最大限の知見をもってやっているんだろうけど、それは実験室的に、その中での最大限に不確実な想定をしてやっているんですね。でも実際の生きてる世界はもっと不確実で、地震なんていつおこるかわからないし、自然災害もね。
だけど、今、人間がいろんなことに対処できなくなってきて、これまでのやり方だけじゃダメだってなってきてるんですよね。だからこそ、そんな不確実なことをやってくれるみなさんのところにお仕事も来てるわけですよね。

三宅:ほんとにそうなんです。特に企業の中にいるインハウスデザイナーの方たちは、そういう確実性をもとめるやり方に違和感を感じている人も多くて、そういう方には、とてもウケがいいのですが、、

須永:そうだろうね。ただその人たちが、上層部へどう伝えたらいいかというところも問題なんだよね。

三宅:上層部へあげていく際の問題もありますけど、最近思うのは、上層部の人たちは案外、今のままだとダメだという危機感をもっている気がしていて。それよりも、これまでの日本の教育の賜物なのかもしれませんが、非常に勉強熱心に、マーケティング方法だったり開発系のワークショップや手法を知識として学んでしまった人たちもまた、ある意味手強いなと感じています。不確実なものを恐れる人たちっていうのは、年齢や立場に関係なく一定数いらっしゃる気がしますね。

木綿:確実性だけではうまくいかないと思っている方々からは、とても理解してもらえてるようになってきて、そういう方とは長くおつきあいしたいなと思っているのですが、ただ、須永先生がおっしゃったように不確実性を排除しながら手順にそってすすめていくというやり方に対して、否定も肯定もないかなとは思っているんですけど。これから会社として、どのようにみられていくべきなのかなと思ってるところなんですね。確実性というか知識(メソッド)を強要してくる人たちの依頼は断るべきなのか、それとも血塗れになって戦うべきなのか?笑 どっちなのかなぁって僕は思うんですよね。

須永:どうしたらいいかは、わからないけど、、会社の入り口に「No knowledge!」とかさ、書いといたらどう?笑

三宅:「No Smoking」みたいにね。なるほど、そんなTシャツもいいですね。笑

須永ちょろっとごまかしながらやるっていうのは通用しないってことだよね。自分たちの軸にしているインテリジェンスはこれです!ってちゃんと言えばいいよね。なんかごまかしてるかなって気がして、ラボの名前のことも気になるって書いたんだよね。もし本気でやるんだったら、僕だったらラボラトリーとは言わないね。ラボラトリーっていうのは本来、まさにサイエンスの場所だよね。相手にあわせてラボっぽくやりますよって言ってる気がするんだ。確実性のために、実験室で実験して確実性を確かめて、まちがいないものを出しますっていうメッセージだよね。だから、もっと自分たちがやってることを表す名前にした方がいいなって思うんだ。全部に対してそれを示していかないと。

アクティングアウトで確実性を示してくださいって言われてたら、説明はできないって言うしかないですよね。未知をつくってるデザインに、確実性をもとめること自体がないですよね。私たちはそんな確実でないことをひきうけてやってるんですよって。

・・・チーム名だけどさ、例えば・・・「不確実工房」とか言う名前の方がいんじゃない?

三宅:いいですね。笑 「不確実工房」って名前だと、誰に向かって確実なことを求めてるんですか!って感じですよね。はっきりと示していくっていうことですね。

須永:腹をくくるってことですよね。腹をくくらないと、絶対に飲み込まれて自滅ですよね。「確実に不確実なことをやります!」って言わなきゃ。笑

一同:笑 しっくりくる。

須永:徹底的にやるしかないですよ。

岩田:すげー

須永:それで仕事が来ないんだったらやめた方がいいよ。笑 ごまかしてやってもいいけど、精神がもつならね。

岩田:もたない。もたない。笑

模型はみんなで考えていくための道具

三宅不確実教祖の上田先生はどうですか?笑

上田:僕もね、いろいろ同じような状況にあるんですよ。今ね、建築家の人たちとやらせてもらってて、クライアントと一緒に考える場としてワークショップが必要だと言っているんです。今まではヒアリンクという形でやってたんですね。だけどクライアントも何をつくってほしいのか、どう頼んでいいかわからないケースが多いんです。例えば大学の校舎を建て替える際に建築のマスタープランをつくりたいというようなリクエストが今一緒にやってる建築家の人からくるんですね。そうすると、建物のマスタープランは大学のマスタープランがそもそもないと成り立たないわけですよね。つまり、この大学は何を目指してるのかとか、どんなことをやりたいのかというのを考えてないクライアントが結構いらっしゃるんですね。
だから結局一緒に考えていくしかないわけです。建築家の人が勝手に考えてくれるっていう幻想があるんですね。ワークショップもただファシリテーションして意見を出してもらうというよりも、ワークショップそのものの企画にも巻き込んでやっていく、つまりクライアントが本気で設計に参加しないとぜったいダメだと思ってるんです。ある種クライアント教育のようなものが必要なんですね。

今、10人ぐらいのアトリエ事務所と大きな組織の設計事務所と仕事をさせてもらってるんですが、全くやり方が違うんですね。問題だなと思うのは、大きな設計事務所だと模型をつくらないって言うんですよ。模型はバイトの学生が見つからなくてつくってないって言うんですね。僕は、それは違うでしょと、模型っていうのは考えるための道具でしょ、自分でつくらないでどうするんですか、って言うんです。模型をみんなでさわって眺めて、そして全員で共同注視していくんですね。そこに模型というオブジェクトがあることで、動かしながら考えて、あーでもないこーでもないって話も活発になるわけです。模型はingのための道具なのに、設計図ができてからクライアントにみせるために最後につくるっていうのは違うと思うんですね。
 どうしても大きな設計事務所だとビルディング型といいますか、作業を分けて嵌め込んでいくスタイルで、まぁ効率的に形にはなるんでしょうけど、全員でビジョンを語ったりはしないんですね。本当のクリエーションってそんなことでいいのかなって思うわけです。

須永:ほんとにそうだね。

上田:エリートと呼ばれる建築家の人たちに向かって、そういうやり方は根本的におかしいって言うのは怖いですけど、僕は声を大にして言うようにしてるんです。だからさきほど、三宅さんが言うこともすごくわかりますが、やっぱり勇気を持ってはっきりと言うしかないんですよね。
僕なんかは、ずっと須永先生に鍛えられてきましたからね。笑

須永:いやいや 笑

上田:ほんとに。僕は建築家ではないですけど、作りながら、手を動かしながら考えなきゃいけないってことは、もう須永師匠にだいぶ叩き込まれきましたからね。笑
だから、僕はね、はっきり言いますよ。「わかりません」って。

須永:そんな感じだよね。今上田先生が言ったみたいに、クリエイティブな営みっていうのは基本的にそういうかたちでしかありえないじゃないかな。とはいえ社会全体が合理主義にそまってるんでね。ゲリラ的にやっても逮捕されるかもしれないよね。笑
だけど、そうなるまえに、やんなきゃいけない。僕は上田先生の考え方はそのものだし、少しでも不確実性への恐れに対してどうやってゲリラ的にやっていけばいいかなって僕も思ってて、三宅さんからメールもらったのも、そうなんだろうなって。
ちゃぶ台返しって言われちゃうかもだけど、ちゃぶ台をかえすんじゃなくて、もっといいちゃぶ台にすると思って聞いてほしいんだけど。

三宅:どんどん、ちゃぶ台返してください。

相手の言葉にあわせない

須永:木綿さんがさっきいったけど、三宅さんが説明してくれたスライドは、あれはうまくいったケースだけで、そこにはたくさんの尸があるって話をしてくれたよね。だから、新しいラボと称する場所をの内容を説明していく時に、うまくいかなかった尸(シカバネ)こそ大事なんじゃないかなって思うんですよ。それを見せないと。

スライドはすごく合理主義的な説明で、すごく確実にうまくいくようにみえますよね。こうやったらうまくいくんですよ、こうやったらできたんですよ、ってまさに確実にできるように見えますよね。やっぱり正直に言ってなくて、相手にあわせて忖度して話してるんじゃないかな。自分たちも。そしたら、「どうしたらうまくいくか言ってちょうだい」ってことになるんだよね。どこかで無意識に僕たちも忖度して改竄しちゃってるんですよね。ほんとに根深いんですよね。自分の中に負けが入っちゃってるんですね。僕もふくめてね。負けが入ってるから勝てないですよね。
だから、ちゃんと書いたらいいんじゃないですか。打率何割で、8割は尸になってる。なんで尸になってるかをあれと同じぐらいパワーをつかって書いていくことなのかな。相手の言葉に合わせないってことじゃないかな。

上田:随分前にベネッセの方とやった「プレイフル」っていうイベントの企画を頼まれてやったんですけど、あの時何千万というお金が動いていて、1年間かけて準備をしてワークショップをやるっていう。その時の担当の方は僕にいつも聞くんです。「これ大丈夫ですか?」って。その度に「わかりません」って。笑 当日の朝にも大丈夫ですか?ってまた聞くんです。だから「いや、わからないよ」って。だって考えみてください。誰が来るかもわからないし、ワークショップって生き物だからね。だけど、どうなるかわからないけど、僕が橋を渡りきる覚悟があるから大丈夫だって言ったんです。真面目にそのことに向かってるっていうことは確かだってことです。未来は不確かだけど、これまでのAll of my Lifeをかけて、挑んでいるということだけは確かだと。
 そんなことを言い続けていると、まぁ、そんな人かなってなるんですね。笑

須永:こんなこと言うと仕事が減っちゃうのかもしれないけど、今の上田先生が建築家の人たちと闘ってるってことだとか、僕の周りでもそういう人がいっぱいいて、今、新しいデザインがはじまってるんだよね。今まさに変わる入り口のさざなみが起きていて、ここで本当のこと語らないと時代を変えていくメンバーになれないんじゃないかな。

相手側に味方を2人つける!

上田:僕は最近うまくいくキーをひとつ見つけたんですけど、相手のクライアント2人を味方につける。ってことなんですね。こういうのって、発想のOSそのものが違うので。うまくいかないのが当たり前で、わかってることをやってもおもしろくないですよねって。本気で向こう側で理解してくれる人が2人いるんですね。1人だとむつかしいんです。自分たちでディスカッションできないと社内で説明できないし、上司と戦っていけないからです。最近は、そういう人がみつかったらやりましょうって言うことにしてるんですね。そのかわりその人たちと徹底的にわかるまでディスカッションするんですね。とにかく2人の見方をつけたらいける!って。

須永:キリスト教が南米にいって普及する時に、エバンジェリスト、つまり帰依する人が2人いれば、そこにキリスト教が根付いていくって。そう考えるとやっぱり宗教的だよね。
これまでの近代のモデルだけではこの先危ないなってこと、冴えた連中はみんな気づいてるんだよね。どっちかひとつを選ぶ踏み絵ではまったくなくて、どちらかを選べということじゃなくて、両方のインテリジェンスを使うってことだよね。
 だから、自分たちで、不確実な方のインテリジェンスを説明できる世界をしっかり持ってないと、じゃあこっちを選びなさいって踏み絵になっちゃうんよね。不確実性を求める世界を十分にわかっていないといけないってことだよね。自分たちで、不確実性を排除しないインテリジェンスの探究と言語化をしていかなかきゃいけない。その努力がひとつあるよね。
 デザイン教育の現場は、比較的ましだと思うんだけど、最近はやっぱりIDEOなんかのメソッドをその通りやらせてるのを見て、あんなことやったって、デザインなんてできるわけないじゃんって思ってて。学生たちがかわいそうだなって思ってるんですよね。メソッド学校みたいになってる。そういうこと学んだ学生が就職して、デザインの現場にいってもデザインはできないですよね。不確実性はデザインの本質だから。それを学ばないでメソッドだけ知ってても。身体をもって理解していない学生が社会にでて、メソッド兄さんやメソッド姉さんになってるのも問題だね。

上田「やって・みて・わかる」という須永先生のモデルが魅力的で。何か新しいものを創りり出していくときに、「やること」からはじめるっていうのは、非常に大事なプリンシプルだと思うんですね。こういうことを自信をもってやっていく、語っていくカルチャーがAct-Oの中に盛り上がってきて、周りをまきこんでいくことが大事なんじゃないかな。精神論も大事なんだけど、モデルを強烈に示していくってことが大事かなと思うんですよね。

須永:アクティングアウトをやりながら生まれてくるという、さっきの三宅さんのスライドの話を「やってみたら、できたんだ」って書いたらいんじゃないの。今は、私たちがやり方をわかってて、確実にできますって言う風に書いてしまってるけど、私たちもわからないけどやってみたらできちゃったんですよって正直に書いたらいんじゃないのって思うんだ。
これは、でも本当にむつかしいよね。私たちの中に近代のロジックがしみわたってるから、小学校からずっと学んできちゃったから。なかなか難しいなって思うけど。

三宅:そうですね。すごくよくわかります。後、さっきの尸を見せるという話がおもしろいなって思って。確かに失敗した時の方がすごく学びが多くて。特にうまくいかなかった時に、何がいけなかったのかなとか、あの怖い上司が入ってたことでみんなしゃべらなくなったなとか、、最初に椅子にすわってしまったのがダメだったなとか。いろいろ振り返って原因を探すことで、進化していくんですよね。

木綿:失敗はいつも呑み会でやるんですよね。

須永:そう、失敗の中にたくさんあるんだよね。成功をならべたてても実は見えなくて、その学びを開示してメッセージにするっていうのも作戦ですよね。

上田:この話を教育の問題でおきかえるとわかりやすくて。近代の学校では能力を獲得しないといけないとか。文科省は、創造性とか思考力を身に付けましょうとか。わかったような気になってるんですけど、実は現場の先生たちもよくわかっていなくて。
 建築のワークショップだと、目的が学ぶことではないのですが、コンセプトをみんなで一生懸命考えていく過程で、結果として、すごく成長してるんですよね。結果として、従来言われてる能力は身についている。本気でおもしろいことをやってると、学んでしまってるってことで、その方が自然かなって最近思うんですね。

須永:そうだね。失敗した時もそうだけど、反対に、うまくいった時の経験もあるよね。みなさんのやり方に共感をもってくれてる人がいるって話だったけど、その人たちをつかまえて、うまくいった時に何がよかったのかを聞き出すっていうのも大事だよね。きっとその人たちの言葉がエビデンスになるんじゃないかな。人文学みたいな世界なのでね。

木綿:すごくよく理解してくださってるクライアントの方から同じようなことを言ってもらってるんですね。Act-Oのことを魅力的に感じてもらってるんですけど、社内でどう伝えたらいいかなっていうのもあって。こういう活動をもっとオープンにできないかなって言ってもらってて、その担当者さんの後押しがあってやり始めたところもあるんです。

須永:すごくいいことだよね。その人に語ってもらうっていうのをコンテンツに加えたらいんじゃないかな。上田理論でいくと、2人いるから、あと1人いるってことだよね。笑
信仰にめざめた現地の人に語ってもらうみたいな。すごい説得力があると思うよ。

藤田:今もその方が社内でアクティングアウトのこと、私たちよりうまく語ってくれるんですよ。あと1人ね。笑

アクティングアウトのすごさは「分かれていない」ということ

上田:アクティングアウトって、開発の中で用いるやり方もありますけど、最近僕は、学生に抽象的な概念を説明するためにお芝居をさせるんですね。最初ぼんやりしててわかりにくいんですけど、何度もやってるうちに贅肉がとれて本質がうきあがってきてすごく伝わるお芝居になるんです。演技のスキルとかではなくて。身体を使うことで抽象的な概念がかたちになってくる。言葉で説明したらわかった気になってるんですけど、自分の経験からくるお芝居にすると、自分のものになる感覚があるんですね。身体で理解する感覚ですね。
須永先生はアクティングアウトをとりいれる意味をどう捉えていますか?

須永:アクティングアウトの何がすごいかっていうと「分けてない」ってことですね。「頭でわかること」と「身体でやること」が分かれてないってことです。「アクティングアウト」ってそんな名前をつけた人がいるから、メソッドぽくなってるけど、要は「行うことと」「分かること」、「やること」と「考えること」が分かれてない。この分かれていないのは、私たちの生きている世界そのもので、ライブなんですよね。
 みなさんが、そこで赤ワインのみながら、僕の喋ってることを聞いてくれてる世界、これは分かれていないんですよ。おいしいなってみんなでワイン味わったり、須永が言ってる話をなるほどねーとかって言いながら、モニターごしに話してて、僕は自宅の自分の机に座ってしゃべってる。今朝9時から、自分の身体をもって電車に乗ってやっきて、今ここで話てる「不確実性」のこととは分けられないわけですよね。
 パソコンに打ち込んだ「不確実性」と言う言葉は、記号なんだけど、分けられない「不確実性」という言葉は、身体の中にあって、次のエンジンになっていくわけです。
アクティングアウトはそういうことを体験できる場なんだよね。じゃあアクティングアウトでないものを考えてみると、会議室に集まって白板にテーマをまず書く、みんながそれをみて議論する。IDEOもやってたけどデザイン思考でやってるみたいに、ポストイットを書いてはって並べ替えていく。それは基本的に身体がともなっていないですよね。分かれてしまってるんですよ。

 分けたのはデカルトなんだけど、彼が「考えること(思考)」と「やること(行為)」をわけたんだ。彼が発案したんですね。分離するとすごく効率的だって。頭で考えることと身体をつかってやってみることを。リモートだと身体なくていいから、なんとなくできた気になってるんだよね。リモートだと、本当はうまくいくいかない。いや、うまくいく度合がすごく低いんですよ。
 本当は僕も、大阪へいったらよかったんだけど、こんな状況だから横浜からだけど、リモートだと、なんていうのかな、僕のオーラがそこに・・・僕の肌のオーラがね、出てないんだよね。笑 だからきっと3割ぐらいしか伝わってないんじゃないかな。その場にいたら「おーい木綿一緒にやろうぜ」なんて言って肩組んで、昼飯でも食いにいくかって話になれば、多分もっとみんなと一緒に本気でやろうってことになるんだけど。やっぱり、それほどにはならないんですよ、リモートだと。
リモートだと、身体いらない、ただ頭で考えていい意見言えばいいんだよ。それでポストイットはって、投票して一番を決めたらいいだよ。ってこうなっちゃう。

三宅:そうそう!(激しく合意)
まだリアルの場であれば、ポストイット会議でも、こちらが「ちょっとやってみましょうか」って立ち上がってアクティングアウトをしはじめることができるんですけど、リモートになると、手も足もでないわけです。

須永:本当にそうだね。思考と身体の分離を増長するメディアでもあるんだよね。使うのはいいけど、それをわかってないとね。

須永身体も空間もいろんな状況も全部、合体させたままやる。それが「アクティングアウト」だよね。これは何も新しいことではなくて、私たちがご飯作って、食べて、寝て、学校行ったり、会社行ったりって。つまり、生きてることがそのままアクティングアウトですよね。だからアクティングアウトできない人なんていないわけですよ。
 言えば、人間本来の姿に戻してるだけってことなんだよ。だからなおさら宗教戦争になった時に説明しずらい。だってすごくないから。当たり前すぎて説明しずらいんだよね。

三宅:そうなんですよ!調査して分析してとかって、最もな感じで、それに比べると、ちょっと「一回やってみましょう」って、なんか馬鹿っぽいんですよね。笑

須永:小学校に入った時から教室で学んで、休憩時間だけ外へ出てって分離がはじまってるわけです。幼稚園のうちは、砂場なんかでずっと物づくりしたり、お遊戯したり、身体と思考は分離されていなかったはずなんです。

上田:ミッチェルは、MITで「ライフロングキンダーガーデン」という名前をつけて、夢中になってやることの価値を探究してやってますよね。幼稚園でやってるような活動は、一生涯において大切だってことですね。

須永:僕の書籍「デザインの知恵」の中でも書いたんだけど、僕の夢は、保育園とデザインスクールをつなげることなんです。デザインスクールでは、分けない学びをずっとやってきてるけど、究極は保育園とデザインスクールを合体させる。幼稚園児に絵を教えたいから、美大生と一緒にやるみたいなのはよくあるんだけど、僕がやりたいのは、幼稚園から本当のデザインを学ぶっていうのをやりたいんだよね。

三宅:私自身、出産を機に幼児期からのデザイン教育をやりたいと思って独立したので、個人的にその先生のやりたいことにもすごく興味があります。

出口不確実性というのを聞いて、震災とか災害とかで、ブーカ(VUCA)予測不能な未来に対して、どういう人材が必要かってことが書かれていたりするんですけど、今って、時代としても求められてきてるのかなって気がしてます。

須永:今、そういう人がいないんだろうね。近代の教育ではそういう人は出てこれないんだよね。正解のあることばかりをやっていると、想定外の地震とか土石流には対応できないですよ。このままだとダメだっていろんな人がわかってきたってことだよね。風は吹いてきたってことじゃないですか。僕たちが向かうべき方向が。

藤田:ビットデザインスタジオを創業して25年になるんです。須永先生が旅のプロジェクトで心斎橋の事務所に来てもらった時の学生さんと今、一緒にお仕事させてもらってたりしてるんです。それで今僕が感じてるのは、事務所って人材だなってことです。2000年ぐらいから、上田先生のところの学生さんのラーニングデザインズとかと一緒に企業でワークショップをさせてもらってて、その頃はなかなか先ほど須永先生が言われてたみたいに、ワークショップでやったことを参加していない上層部に伝えるのが難しくて、結局同じワークショップを3回やったこともありました。
それが、今三宅さんたちに入ってもらって、お友だちのun labo.のメンバーとか、木綿とかが中心になって、ようやくお仕事として形になってきたというのがあるんです。上田イズムとか須永イズムが根付いてるなっていうのがあって、だから今後もいろいろ一緒にやらせてもらえたらなって思ってるんです。

須永:最後に宣伝ですが、放送大学の大学院の「情報デザイン特論」の授業を来春4月からを受け持つことになったんです。
これまでは、ある程度ぼんやり考えておいて、後は学生の顔みながら、その都度授業を考えていくんだけど、放送大学は事前に教科書書いて、15回分の授業を収録しなきゃいけないというのを後から知ってね。そうなのか、2022年4月から僕が授業するんじゃなかったんだって。だからもう大変ですよ。教科書みてデザイン勉強したことないから。もう1回目の授業の収録も始まってるのに、まだいま教科書を必死に書いてるんですよ。どうしよ〜ってなってんだけど。でも、今日のような話もしてるので是非みてもらったらいいなと思って。

三宅:はい、4月ですね。みんなで拝見させてもらいます。今日は、コロナのこともあって、集まれるのがコアメンバーだけになったんですが、本当はいっぱい仲間がいて、コロナが収束してくれたら今度は全員あつまる機会をつくろうと思ってます。なまなましい尸を肴にリアルで集まって呑みながら、研究会をやりたいですね。

須永:いやぁ今日は、みなさんが、なまなましく企業と開発をやってるのを見れたんで、僕もすごく刺激になりました。ありがとう。楽しかったです。

ーーーーー須永先生とのリモートセッション終了後

上田:今日はすごくよかったですね。

三宅:よかったです。これでいいんだっていう自信をもらったというか。不確実工房に名前変えますか?笑

ゴリ:やっちゃえビット、みたいな。笑

三宅:矢沢風のタオルつくりますか。笑

藤田:上田先生が言ってた、クライアント側の味方を2人つけるって言うのが、すごく納得ですね。

出口:クライアントの中にも、頑なにどっちかっていより、中立的な人も多いと思うんですね。不確実なアプローチがいいのはわかるけど、今はこうでしょって押し切られてしまうというか。大事なのはわかってるけど、仕事としてはできないとか。実際はってなってる人が結構多いんじゃないかなって思うんですよね。

花奈:須永先生の言ってた、失敗を見せるって大事な気がしますね。怖いけどやらなあかん気がしますね。失敗してるのを見せると相手にも失敗していいんだって思ってもらえるし。失敗しても受け入れてくれるチームなんだなって思ってもらえるから。

大崎:今、ウェブサイトをオープンにしてクライアントにも意見をもらいながらつくってるじゃないですか、それってすでにそういうことなんかなって思うんですよ。今ってファン経済って言われますけど、まさに宗教なのかもしれないですね。圧力鍋思想っていうのがあって、まずニッチなひと、そういうのが好きな人をまず集めるんですって。興味のない人はひとまずほっておいて、まずニッチな人を煮込むと匂いが吹きこぼれるじゃないですか。その匂いにつられて、興味なかった人もあつまってくるんですって。

花奈:もっと濃くするってことね。そうなんかも。

三宅:UX Workshop Labo.って名前も、UXっていえば検索にひっかりやすいとか、企業の人がわかりやすいっていうものもあってあえてそうしちゃったんだけど。UXって実は私もちょっとひっかかってて。ユーザーっていう言い方がもう人ごとみたいだなって。でも、須永先生に、向こうの言葉を使っちゃってるって言われて、ほんまにそうやなって。

宮谷:忖度してますね。

三宅:ごまかしてました。ごめんなさい。ってなったわ。笑

ゴリ:ロックやなぁ

三宅:ただ、それで興味をひくところもあって。ただ、そこに対して、私たちは不確実だよってこれからしっかり言っていく必要があるなって、そういう段階にきてるかなって気がしてきましたね。

上田:ビットデザインはいいサイズだと思うんですね。建築の会社でいうと、大きな組織だと「建物をたてる」と考えてるけど、小さいアトリエ事務所は「作品をつくる」という感覚なんです。ブラックだと外からは見えるかもしれないけど、いいものをつくりたいという気概が一人一人にあるんですね。だからAct-Oも、今はこういうやり方をすれば、こんなおもしろいものができるっていう、作品で示していくしかないんじゃないかな。

三宅:そうなんですね、ただ、大きな会社とやってるとワークショップが製品化されるまで、なかなか時間がかかるというのもあり、途中で出せないというのが悩みどころです。

出口:もしかしたら、バルミューダじゃないけど、自主企画でなにか製品化までやってしまうとか。コラボで。本当に工房みたいに。そういうのもありなのかもしれないですね。

三宅:それかもしれないです。サイトをつくってて足りないなって思ったんですよね。

上田:昨日須永先生の本読んでて、未だにその通りだなって感動してたんです。なんで昨日まで気づいてなかったんかなって気持ちで読んでるんですよ。最近ね、ほんとにメソッドとかあんまり関係ないなって思ってて、本質は何かっていうことを考えぬくってこかなと。そこを考えていけば、絶対に勝てるみたいなところがあるんです。

出口:小さな事務所でやってると、自分の仕事って全部自分にはねかえってくるんですけど、大きな企業だと責任の所在が不明なところはありますね。責任分散されてて、やりたいけどそこまで関われないっていう人もいらっしゃいますよね。

岩田:考えない方が効率的みたいな風潮がありますよね。


ーーーーこの後も延々と話はつづき、ひとまずチーム名をUX Workshop Labo.改め、Act-OActing Design Lab)となりました。これもまた変わるかもしませんが。永遠に不確定でいきたいと思います。笑
須永先生から「lab」という言葉は生きてる世界から分離された「実験室」というイメージがあるからどうなの?って話してでしたが、いろいろやりながら、失敗できる場所、失敗を糧にかえていく場所としてのLabです。

いわた花奈さんのメモ