アクティングアウト考

2021.8.31 online
参加メンバー:藤田次雄、三宅由莉、木綿昌之、いわた花奈、大崎良弘、宮谷直子、出口愛

Act-Oキックオフミーテングのブログ記事を読んで、続きを話したいシリーズです。
アクティングアウトに興味をもってくださっている某企業でデザイナーをされているゲストさんとのセッションです。前回のブログで話していた「不確実性」「確実性」とは企業において、どう捉えていくべきなのかというお話です。

アクティングアウトはスポーツの練習

ゲスト:あの須永先生と上田先生とのキックオフミーティングのブログを読ませてもらって、失礼だったら申し訳ないんだけど、いい意味ですごく笑いながら読ませてもらったんです。そうだそうだ!って感じで。おっしゃってることはすごく奥深いんですけど、あのお二人がすごく自然体で語っておられて。いろんな意味ですごく考えさせられたんですよ。それで僕が思ったことを話したくなりまして。

三宅:私たちもTさんが、あのブログを読んで感じたことを企業の立場からぜひお聞きしたいと思っていました。

ゲスト:結論的なことから先にいうと、あのブログを読んで、メソッドだとか、プロセスだとか、いわゆる手法論でアクティングアウトを語っちゃいけないんだろうなって痛感したんです。
UXデザインって言葉に踊らされて、なにか未知なものを発想するクリエイティブな場としてワークショップを行うわけですが、そのための手法論が世の中にはごまんと存在してるんですけれども、その中で不確実性という点についてはほとんど語られていなくて、むしろ確実に答えを出すことしか語られていないわけです。

三宅:これまで私も、どうやったらアクティングアウトをメソッド化できるかって考えてたきたんですけど、そういう伝え方ではないのかなって思ってきたんですね。

ゲスト:僕ね、最近ゴルフをはじめたんです。真剣にうまくなりたいと思って取り組んでるのって実ははじめてなんですけど。それでね、アクティングアウトってスポーツの練習だなって思ったんですよ。
 最近になってようやく自分で練習した結果が出てきてスコアが伸び始めたんです。うまくなりたいから、スイング方法だとかいろんな知識を集めてインプットして、それを実際に再現してみるんですね。知識の段階ではまだそれは不確実なんですが、実際にやってみてら「あ、こういう打ち方だとうまくいくんだ」っていう気づきがあって、少しづつ確かさに変わっていくんですね。自分にしっくりくるものが見つからない時もあるわけですけど。それを繰り返しやる反復練習って実際に身体を動かしてやるわけです。あたりまえですけど。須永先生が言うところの「考えること」と「身体でやってみる」ことを「分けてない」っていうやつですね。いろんなものを試してみて、やってみて、見つかったのが「自分の答え」なんですね。

三宅:うんうん。

ゲスト:実際仕事の中でアクティングアウトのこと説明する時に、手法で語るよりもそういう導入の仕方の方がいいのかなって思ったんですね。

 ワークショップっていうと自分とは違う次元でただアイデア出すっていう行為だけで参加する人が多いなと思っていて、最初からあまり自分事になっていないんですね。
自分で身体をうごかして自分で答えを出すって、日頃から誰でもやってることなんですよね。当たり前すぎて説明しづらいって、ブログの中でも言われてましたけど、ほんまにそうで。多分、誰でも何かできるようになりたいとか、自分のものに確実にしたいって思ったら、多分身体も一緒に動かしてるんですよ

三宅:答えを探すっていうのが、唯一の正解ではなくて、自分の答えだってことですね。

ゲスト:自分事になって、それがしっくりきた時にはじめて自信をもって言えることが答えなんですよ。これって上田先生が言ってた建築家の方との話もそうでしたけど、自分事になってないから模型をつくらないとかってことになるわけです。

三宅:今のTさんの話を聞いて思ったんですが、自分事にしようって話って、Act-Oの中でアクティングアウトと同じぐらい大事にしてるメッセージなんですけど、自分事にすることと、身体でやるってこととは実は密接に関係しているってことなんですね。
「自分の答えをみつけろよ」って「自分事にしなさいよ」って言われるより何をしたらいいのかわかりやすいかもしれないなって思ったんです。「自分事にしなさい」って言われてもね、ってとこあるじゃないですか。「自分が納得する答えを探せ」って言われたら、つい探しはじめるんじゃないかなって思ったんですよね。結果、自分事になってるってことなのかもしれないですね。

ゲスト:以前、人のアイデアをアクティングアウトしてみても、なんかしっくりこなかったことがあったんですよね。だからね、やっぱりスポーツの練習と同じで、自分でこうなりたいっていうのがまず起点としてあって、そのためにいろんな知識を得て、それを実際に何度も身体を動かしてやってみる。そこにちゃんとフィードバックをかかったときの、あの「確かさ」っていうか。それはみんなにとっての必ずしも正解ではないんだけど、自分にとっては自信を持って言えることっていう。

n1でも100%の経営判断

ゲスト:ブログでは「人文学」とか「教育学」なんかにも触れられてましたけど、企業にとって響くのは、やっぱり「経済」なんですよ。学問で言えば「経済学」「経営学」なんですよね。そこからこの話を紐解けないかなって思うんです。
 大崎さんがブログの中で、ファン経済の話してましたけど、まさしくユーザーの価値が多様化してる中では、マスよりもニッチにふったほうが売れる時代ですよね。確実性をもとめて調査をベースにして開発を進めていくやり方っていうのは、マスマーケティングのやり方のままなのかなって気がします。リサーチの段階で、インフルエンサーとかアーリーアダプターだとかってとんがってる人を絞ってリクルートするんですけど、結局大勢(マス)に聞いてるんですよね。
 企業としてはシビアに経営判断をしていかないといけない中で、ある程度の確実性を下に判断しないと、自分の失敗になるのが怖いっていうことがもちろんあるわけで、不確実性への恐れってやつですね。それが、ニッチな価値を求めるけどマスマーケティングの手法で確実に、という不確実だけど確実にみたいなことになっているのでしょうね。

 なので、n数(サンプル数)1でとことん突き詰めていって、こういう世界をつくりたいんですって言ったとしても、「その需要は何%なんだ?」ってことになる。n1ですってことは、パーセンテーションで言うと100%なんですよ。その人は絶対に買うんです。笑 
 だからn数をもとめる時点でマス経済になっちゃうんで、そこがジレンマなんですよ。さっきの自分の答えを見つけるってやり方であれば、n数ではなくどれだけ共感性をひきだせるかになってくる。だからエビデンスによる説明よりも、そのアイデアをどれだけ自分が自信をもって説明できるかっていうことが重要になってくるんじゃないかなって思うわけです。
 企業も本気でそういうマインドセットに変わっていかないと、なかなかブレークスルーがおきないんだろうなって思うんです。

三宅:アクティングアウトのような不確実なやり方を「企業」という中で説明していく時には、思想的な話よりも「経済」ということを切り口に話した方が、説得力があるというか、みなさんの納得感があるってことなんでしょうか。

ゲスト:そうですね。いわゆる経営判断をさせる上でのバックボーンですね。

三宅:前に出口さんが話してましたけど、みんなこれまでのやり方ではダメだと思ってるし、不確実性を受け入れていくことが大事だってことは、概念的にはなんとなくわかってるんだけど、いざ目前の仕事となると、確実性をもとめるやり方に振れてしまうんですよね。
だから、漠然とした思想のお話よりも、現実的に目前にある経済的な課題でも、これまでの合理主義的なやり方を続けていても破綻しますよっていう言い方をした方が、本業の中での本腰を入れてもらえるということですね。これって覚悟がいることですよね。

中立というマジョリティ

ゲスト:開発の現場でも、やってる本人がこうしたいという強い思いがあればいいのですが、あやふやなまま進めていると、結局上司から何か言われた時に自信をもって説明できないから、どんどんブレていくわけです。最終プレゼンする時には、まったく自分がいなくなっている、なんてことはよくある話です。

三宅:そのプレゼンでボロボロに失敗を体験できればまだいいなって思いますが、自分事になっていなくても、できた感じにこなせてしまうのが問題なんでしょうね。

ゲスト:そうですね。だから、あの失敗(尸)を表に出していくって話もいいと思うんですよ。企業もよく表向きは失敗を許容するなんて言われてますけど、実際のところは、やっぱり失敗を認めてもらえない文化っていうのは根深くありますからね。

三宅:私も自分が広告の会社で働いていた時に、パンフレット制作のコンペに参加させられて、その時は下っ端だったので、それこそ上司やまわりにいろいろ言われて、自分では全く納得いかないままシャンシャンと企画書つくってプレゼンしたんですけど、結果ボロボロだったんですね。質問されても、まったく自分で納得できていないからうまく答えられないし。結局そのコンペは見事に惨敗したんですが、後日勝ったところの企画書を見せてもらったんですが、まぁよくできてたんですね。企画に魂があるというか、言葉に力があって、自信をもって伝えてたんですよ。それを見てから絶対に自分が関わる仕事では納得のいかないものをつくらないと誓ったんです。つまり、そうやって自分の納得感なく企画をたてるというのは、社内での評価はそこそこもらえても、結局は会社にとっても自分にとっても大きな損失になるってことなんです。

ゲスト:ブログの中でも言っていた、こういうアクティングアウトのような不確実性を大切にしてすすめる方たちと、近代合理主義的に確実性を重視して進める人たちっていうのは、VSの構図に見えるんですが、須永先生もおっしゃれるように双方あって然るべきで、いちばん厄介なのが、出口さんもおっしゃってた中立の人なんじゃないかなってちょっと思ったんですね。

三宅:うんうん、そうそう、中立の人はややこしいですよね。笑

ゲスト:中立の人が大多数を占めると、VSの構図もなくなって、事なかれ主義で終わってしまうわけですね。

三宅:それがむしろ一番エネルギーを削がれますよね。むしろVSの関係が見えてる方が自分たちのやるべきことが見えてくるんですけど。中立の人の事なかれな発言は、じわじわとやる気を失っていくんですね。

ゲスト:ある意味、日本人らしいのかもしれないですけど。そこがマジョリティなんで厄介ですね。

開発における人材育成という視点

ゲスト:少し話は変わりますが、ブログの中で藤田社長が会社は人材だなって話されてましたよね。僕もプロジェクトチームのような単位でも、やっぱり人材なんだろうなって思うんです。人材と言うのが能力云々ということではなくて、一緒に仕事をするメンバーの思考のベクトルがあってるって大事だなって思うんですよね。

藤田:うちの場合は、この人数だからというのもありますが、そもそも知り合いのネットワークで集まってきてるところがあるので、前提として思考のベクトルがそもそもあってるところがあると思うんですね。

ゲスト:リクルーティングの問題もありますね。採用する側の求めてることと、採用される側のやれること、やりたいことが一致すれば、エンゲージメンドにもつながると思うんですけど。でも実際には、なんと言いますか、採用を決めるのも即時的な評価になってしまうっていう現状があると思うんですよ。そのときのプレゼンの話が上手だったみたいなところで決めてしまったり。

三宅:ちょうど今、岩田さんと一緒に人材育成会社の方からの依頼で、組織を森にみたてたモデル図をつくるお仕事をさせてもらってるんですけど、まさに今のようなお話で。エンゲージメントって、森でいう土壌の部分なんですね。目に見えないんだけれども、土壌がカチカチになってると、いくらそこに植林しても育ちませんよっていう。エンゲージメントが高い状態っていうのはフカフカの土壌なんじゃないかって話してて、だから組織にも、ミミズのように空気や水の通りをよくしたりするような存在って必要なんですよね。単一の育ちやすい木を植えてもだめで、多様な生き物が生息することで自然の摂理によって自分たちで秩序をつくって成長していくらしいんですね。

ゲスト:なるほど、そうですね。リクルーティングも近代合理主義なんですよね。確実性をもとめて採用するところがあるんですね。不確実性を確実性に変えていく動きが、土壌をフカフカにするその人の魅力なんでしょうけども。

三宅:そうですね。最初から確実な人材なんていないですよね。木綿くんがこんなに発酵して化けるとは、誰も最初思わなかったですよ。笑

木綿:いやいや。僕もこんなに長く生息するとは思っていなかったですよ。笑

岩田:もしかしたら評価制度に問題がありそうな気がしますね。土壌の話をしていた時に、見えないところを誰がそう見てるかって大事だなって。これまでは、見えやすいところばかりを評価してきたんだけど、もう少し見えないところでの活躍を見える化できるといいのでしょうけど。

三宅:今までって、たくさん葉っぱをつけましたとか、綺麗な花が咲きましたとか、地上の見えてるところしか評価ってされていなくて、土中の評価ってされてないんですよね。地上と同じだけ土中でも根っこでネットワーク張り巡らして、栄養つくってってしてるんだけど、結局は表層だけを評価してるっていうのが問題なのではって話をしてたんです。

ゲスト:近代合理主義じゃないですけど、その方がわかりやすいからですね。

三宅:ミミズさんは数値化しにくいから。

岩田:あとね、誰のアイデアかってことに拘ってるところがあるのは問題だなって思うんですね。クリエイティブな活動をチームで進めていく時には、本来は関係ないはずなんだけど。そういう個人評価を気にしながらやるっていうのは、プロジェクトを進める時にかえってマイナスの要素が大きいと思うんです。

藤田:僕たちは、よく小動物の集まりだって話してて、何か新しい仕事にチャレンジする時には、小動物会議をするんですね。笑
小動物だからこそ、みんなでどうやって獲物をとろうか相談してるんですね。小動物だから防御も必要ですし、責めることも必要なんだけど、みんなでその目的のために自分のポジションの仕事をしっかりやるっていうところがありますね。個人評価とか言ってる場合じゃないっていうか。

木綿:一人でやる時でも、みんながついてるというか、こういう時にボスだったらどうするかなとか、三宅さんだったらこう視点を変えてくるだろうなとか、カナさんだったら、ゴリさんだったらって考えるんですね。憑依してるっていうか。笑 それが自分の中で確かさにつながっていくんですよ。

三宅:個々が弱いことを認めてるし、お互いへのリスペクトがあるからこそ安心して目的に向かえるっていうのはあります。変なところにワーキングメモリを使わなくていいから、難題もみんなで相談すれば高確率でブレークスルーできるんですよ。笑
Act-Oのワークショップは、ただアジェンダを提供するだけじゃなくて、そんな安心してアイデアを積み上げていけるコ・クリエーションの場づくりにも気を払ってるというのは、そいう場づくりが何より大事だってことを身をもってわかってるからなんですね。

知識ではなく、本能を磨くこと

ゲスト:ブログの中で、メソッドに忠実すぎてクリエイティビティが発揮されないみたいな話があったと思うんですが、知識を得るために本を読んだり、識者の話を聞くのはいい事なんですけど、やっぱりそれを自分の中で解釈して噛み砕いて、自分でそれを答えとして持たないと、聞いた知識だけで何のトライもせずに、そうすべきじゃないかって言うのは違うと思うんですね。

三宅:ちょっと見聞きしてすぐこれが正解だって判断してしまう怖さというか。で、そういう見聞きしてる知識って、決してまちがってないんですよ。デザイン思考もね、そうや、そうや!って思うんですよ。自分たちも同じ言葉をつかってるんですよね。だからメソッドが悪いと言ってるんじゃないんですね。

出口:自分が専門でないところって余計に、メソッド通りに真面目にやらなきゃってなるんでしょうね。私アウトドアが好きで、ボーイスカウトやってる友だちに教えてもらってサバイバルとかやるんですけど、言われた通りにやれば、それなりにできるんですね。まぁだからと言って無人島で生き残れるかっていうとそうではないんです。知識ではなく、生き残れる本能というか、その時々の状況判断力というか。そういうことが大事なんだろうなって思うんですね。

三宅:確かに。アクティングアウトって本能を磨くみたいなところありますね。

出口:身体で覚えた世界というか、なかなか言葉にできない感覚的なものですよね。だから共有するのってやっぱりむつかしいですよね。一緒にやってみるとかでしかなかなか伝えるのが難しいことだと思いますね。

ゲスト:そうなんですよ。反復練習って言いましたけど、身体で覚えていく、そんな感じがあるんですよね。

岩田:人間らしい行為ですね、アクティングアウトって。調査はAIがやってくれるでしょ。いっそやってくれって思いますよね。

ゲスト:僕なんかギブソニアンだから環境と自分の感覚を分けられないんです。客観的なリサーチとかね、やっぱり正直好きじゃない。笑 エスノメソドロジー的に、観察して自分で違和感をみつけていくっていうのはわかるんですけど、自分の感覚のないところのデータを見てもね。
アクティングアウトしてみて違和感を見つけることはできても、データを見て違和感に気づけって、すごく難しいわけです。そういうお仕事の方もいらっしゃると思うんですが。やってみたら、ほんとにいろんな発見があって、ほんとに小さいことだけど目から鱗なことっていっぱいあるんですよね。

三宅:そうですね。ユーザー調査で「お困りごとありますか?」って質問されても、むりやり考えるみたいなところあるんですけど、実際にやってみたら、「あ、これ困ってた」みたいなことって結構あるんですよね。

大崎:それめっちゃわかる。ユーザー調査で聞いても、ちょっと無理して答えてくれるとこありますよね。仕方なくこんなとこ困ってますって言ってくれるんですけど、じゃあそこ改善した商品買いますか?って言ったら買わないんですよ。笑

アクティングアウト思考をどう浸透させていくのか

三宅:身体を動かしながら思考する、アクティングアウト思考って、もはやTさんや私たちの中では無意識にやっていることなんだと思うんです。こうして座って話をしている時でさえも、考える時に身体が動いてるんですよ。使用シーンを思い浮かべながら、操作する仕草をしながら考えてるんです。身体を分けないで考えるのが癖になってるんですね。でも多くの人は私たちが思ってる以上に、頭だけで理解する習慣があるんだと思います。分けて考えるやり方を長い年月をかけて習得してしまってるんですね。

ゲスト:確かにいつでも身体を動かしながら考えてますね。

三宅:アクティングアウトのワークショップに参加してもらって以来、自分でも必ず一回やってみるようになったですってTさんが言ってくれたことがあるんですけど、あれ、すごくうれしかったんですね。アクティングアウトって手法でもなんでもなくて、ただ当たり前のことをやってみるってことだから、別に私たちがいなくてもやってみてほしいんですよ。分けないで考えることのきっかけになればいいと思っていて。

木綿:コロナ渦で、なかなか対面でアクティングアウトのようなことができない中で、どうやってそういう思考を伝えていったらいいのでしょうね。

ゲスト:こんな状況なので、以前のようにふらっと立ち話の中でやってみようかなんてこともできないわけです。コロナが収束したら、またそんなこともできるようにはなるでしょうけど、完全に以前のような環境にもどるのは難しいでしょうね。
それで、僕ひとつ手がかりがあるのは、以前みなさんがオンラインでつなぎながら料理をつくった話を聞いたじゃないですか。それぞれの家のキッチンで。その経験がヒントになるなって思ってるんです。

岩田:あ、それ私も今それ考えてました。

ゲスト:同じ空間は共有できないですけど、それぞれの生活空間でやってるわけですよね。そこでテーマを与えて、それぞれが自分の生活空間の中で動いてみるっていうのでもいいわけですよ。思いつきなんですけど、アクティングアウトレシピみたいなのがあったらいいなって思ったんですよ。テーマに対して、アクティングアウトをやってもらうためのツールだとか場所だったりとかを共有しておいて、アジェンダにそってやってみるみたいな。時間もゆるく決めておいて、何時にまたパソコン前に集合みたいなね。学習環境デザインをベースにされてる皆さんなので、何かよい方法が見つかるんじゃないかなって。

宮谷:アイデアを宿題で出してこいって言われるより、ハードルが下がるのでいいですね。とりあえずやってみようかな、って思えますね。

三宅:なるほど〜それおもしろいですね。以前お仕事で、仕方なしでしたがオンラインでそれに近いことやったことありますね。想定するUXシーンになりそうな場所に各々が実際に出かけていって、違和感を写真にとってくるみたいな宿題を出したり、リモート上で身体を動かすきっかけになるアイスブレイクを考えたりもしました。

木綿:UXシーンに合わせて背景画像を変えて話すとか、そんなこともやってみましたね。

三宅:その時は対面でできないから仕方なしにいろいろ考えてたんですけど、たしかに、Act-Oの研究会で、自主企画として自分たちで一度やってみて、オンラインアクティングアウトのレシピつくるっていいかもしれないです。

岩田:確かに発見がありそうですね。今ってどうしてもオンラインでやると資料共有が中心になってますからね。

三宅:そうですね、例えばトイレの企画考えてるんだから、家のトイレにいって、一回やってみて考えてみようって普段からなればいいですよね。せっかく家にいるんだから。

出口:それだと一緒にいないけど、実体験が伴ってる感じがしますよね。

三宅:そう「分かれてない」んですよね。頭と身体が。リモートだけど。

岩田:ちがう共有の仕方があるんだなって思いますね。みんなで集まって料理すると、材料を切るひと、フライパンで炒める人、洗い物する人って同じ仕事をできないんですけど、リモートだと、同じ作業をそれぞれが家でできるから、それはかえってよかったなって思ったんですよ。やらないと気づかなかったことがいっぱいあって。

三宅:リモートで一度「リモートアクティングアウト」を考える会をやってみてもいいですね。まさにやりながら考えたらいいんですよね。

岩田:前に三宅さんと「a little bit ちょっとだけやってみて」っていう本つくろっかって話してたんですけど、そんな感じいいかもしれませんね。「ねっねっ、ちょっとだけやってみてぇ」って 笑。

ゲスト:企業の中でやっていると少なからず、確実性を求められることは多々あって、めげそうになることがあるんですが、こうして皆さんとこんな不確実な話をざっくばらんに話せるのはとてもいい刺激になっています。

三宅:私たちはアクティングアウトを学問的な思想として普及したいということではなくて、リアルに実社会に少しでも根付かせていきたいという思いが強いので、企業の中にどうやってそういうマインドセットを広めていったらいいのか、企業サイドからのご意見を聞かせていただいて、とても参考になりました。本日は本当にありがとうございました。